已己巳己ブレイクダウン

時事ネタなどを起点とした思考の記録です。

ややこしい話題について考えるときの基本的なスタンス

[概要] いろいろな意見を理解し、問題への向き合い方を探るべく、論理的に考えることを意識していきたいです。併せて、考え方の原則などを列挙します。

目的

世の中には紛糾するような話題というのがいろいろありますが、私はその多くについて、結論となるような意見を持っていません。
必ずしも関心が無いわけではなくて(無いこともあるが)、いろいろ調べないとなんとも言えない1、しかしその余裕が無い2、という感じ。

どちらかというと関心が強いのは、次のようなメタ的な疑問です。

  • どうしてこんなに意見が分かれるんだろう?
  • どうしてこんなにディスコミュニケーションがあるんだろう?
  • 衝突を解決するために、もっとマシな方法はないんだろうか?

よって、このブログは、以下を主目的としています。

  • いろいろな意見について、それらの意味・前提・背景などについて理解を進めること
  • ややこしい問題一般に対してどう向き合うのが望ましいのかを探ること
    (これは本稿の延長とも言える)

個別の話題に関する意見について賛成/反対の表明をすることもあるかとは思いますが、それは思考の一時保存みたいな側面が強くて、いつでもひっくり返るものです。

手段

方向性

理解という言葉について、次のように認識しています。

定義3
ある意見を理解するということは、その意見の論理的4な構造、および自分が既に理解している内容との論理的な関係について知ることである。5

ほぼ同じことの言い換えですが、次のようにも言える。

命題6 1
他者の意見を理解するためには、自他の意見を論理的に整理していくことが必要である。

よって、目的のため、論理的に考えていくことに主軸を置くことにします
(この表現は手垢が付きすぎてて嫌なんだが……)。

わざわざこれを書く理由は、論理的に考えるメリットは実はそんなに自明ではないと思うからです。また、理解することだけが人間の営みではないので、目的が違えば手段も違うという点には注意が必要です。

経験則

以下の命題は真であることを断定するものではない(まず真偽は最重要ではない)。
本稿の「目的」に沿って考えるなら、これらを仮定したほうが成果を得やすいぞ、という類のものです。

……

命題 2-1
愚かさで十分に説明できることを、悪意で説明するべきではない。

上記はハンロンの剃刀という格言。
他者の意図に関する推測はそもそも外しやすいし、悪意を疑う場合はなおさらである。

……

命題 2-2
判断や推論を行う能力について、他者のそれを自分のそれよりも低く見積もるべきではない。7

上記は理性主義の立場と言えると思うんだけど、哲学史に詳しくはないので自信薄。
ハンロンの剃刀に倣って、「他の理由で十分に説明できることを、愚かさで説明するべきではない」という表現にもできる。

……

命題 2-3
判断や推論を間違えることは、悪いことではない。8

少なくとも私自身はメチャ間違えるはずです。

……

命題 2-4
他者の意見を解釈するとき、できるだけ筋の通った形に解釈するべきである。

上記は思いやりの原理と呼ばれるもの。
我々はよく「あなたは~~と主張するが、これは筋が通っていない」という批判をするが、単に解釈をミスってることも多いので、筋が通るような解釈を探すくらいでちょうどよい。藁人形論法の逆とも言える。9

……

命題 2-5
命題の真偽を判断するとき、次の法則に従うべきである。

第一法則: 判断するな。
第二法則: まだするな。

これは半分冗談で、「プログラム最適化の法則」のもじりです
(内容は無関係。cf. 最適化 (情報工学) - Wikipedia)。

補足すると: 我々は、ある命題を見たとき、前提を推測したり、他の命題を連鎖的に判断したりといったことを、一気にやってしまいがちである。これはけっこうミスりやすいので、都度ワンクッション置いたほうがよい、ということ。

……

命題 2-6
論点が一つしかないと考えるべきではない。

論点とは「当座の目標として、この命題の真偽を判断したい」と思っている命題のこと、と言える。
大きな問題を論理的に分解すると芋づる式にいろんな命題が出てくるので、どこに強い関心を持つかは人によるはずです。

……

命題 2-A
命題 2-n (n は任意の番号)によって作られる規範を破る者を非難するべきではない。

別に非難してもいいんですが、それは当初の目的を手放すことを意味します。10
こうしたほうが捗るぞ、という提案ならあり。

予防線

以下は補足です。
当たり前だと感じる人と、そうでない人がいることが予想されます。11

本稿の「目的」「手段」に同意しない場合、これらの命題は必ずしも真ではありません。

……

命題 3-1
ある意見を理解することは、その意見を肯定することを意味しない。

日常的には、相手の意見を肯定する意図で「分かる!」と言ったり、否定/拒絶する意図で「意味が分からない」と言ったりする用法があるので、混同しやすいかもしれない。

論理に着目する限りでは、「まあ、言いたいことは分かったけど、私はそうは思わない」みたいな状態でも「理解した」の範疇に入ります。12

……

命題 3-2
ある意見の正しさを疑うことは、その意見を否定することを意味しない。

ここで「疑う」というのは、「正しくない」という判断をすることではなく、「正しいのか?」という疑問を持つことだけを意味します。
結果的には「やっぱり正しかった」という判断に至る可能性もあります。

……

命題 3-3
ある意見の一部を肯定/否定することは、その意見の全体を肯定/否定することを意味しない。13

「肯定」は「同意」と読み替えてもよい。

ある人が他の人の意見を受けて、「■■を否定するなら▲▲を否定しているも同然だ」などといった反応をするとき、次の状態のいずれかである可能性があります。

  • 「■■」と「▲▲」の意味または論理的な関係性について同意していない
  • 「相手の意見を理解すること」以外の目的を持っている

前者であれば、論理的な議論を経て意見の違いを解消できる可能性があります。
後者だとしても、それが悪いことだとは限りません。14

……

命題 3-4
「論理的に整理されていない意見は考慮に値しない」という判断は必ずしも正しくない。15

これは定義より明らかで、これから理解に努めようとしている意見が初期状態で整理されていないのは自然なことである。16

補遺

こうして書いてみると、自分が当然だと思っていることが実はそうでもないということに気付かされます。

脚注

一つ一つが本来もっと長くなる話なので、個別に記事にできればいいんですが。


  1. 本稿の内容に基づくと、私自身が納得できるような結論を出すためには、まず過去の議論(たいてい膨大な量である)を踏まえ、さらに自分の意見を付け加えてまとめ上げる必要がある(これは要するに、大学生とかがレポートを書くときに必ず踏む手続きと同じである)。それを個別の話題ごとにやるのはちょっと……本業もあるし……となってしまう。

  2. アクティビスト的な立場からすると、余裕が無いという言い訳をして何もしないのは社会の一員として無責任である、などといった批判ができるはずで、沈黙を是として良いのかは私もよくわからない。とりあえず、もし自分に何らかの貢献ができるとしたら、それは個別の話題について結論を提案することではなく、もっと間接的な参加のしかたをしたほうが有益なんじゃないかしら、と考えることにしています。

  3. 「定義」にもいろいろあって、ここで言う「定義」とは、「ここでは、この言葉はこういう意味で使います」という宣言みたいなものです。このブログで「定義」と言うときはだいたいこの意味になると思います。こういうローカル定義をやらずに説明を完結したかったんだけど、難しい。

  4. 「論理」って何? というのは決して自明な話ではなく、むしろだいぶ曖昧な言葉だと思う。別途解説が要る。

  5. 「自分が既に~」のくだりは、たとえば語彙が異なっているとき(分からない言葉があったり、同じ言葉を別の意味で使っているなど)、正しい理解が不可能である、という事実を説明しています。

  6. 「命題」というのはお堅い言葉だけど、たとえば「○○は△△だ」などの文はすべて「命題」です。つまり、「この文の内容が正しいことに同意するか?」と聞かれたときに yes/no で答えられるような文のことだ。
    ここで「yes/no で答えられる」というのはあくまで文法上の話である。文法的にはともかく、実際には答えられないケースはよくある。たとえば「A氏は犯罪から足を洗った」という命題は、まず「A氏には犯罪歴がある」という前提について合意が無いと、肯定も否定もしようがない(あるいは「条件付きで yes」みたいな答え方になる)。こういう隠れた前提を洗い出すのも論理の効用の一つだ。

  7. 読解とか表現とかのテクニカルな面については個人差があるかもしれない。ということもあって、ここでいう「能力」とはなんだ? という疑問は出るかもしれない。私としてはとりあえず、「あいつはバカだからこんな言動をするんだ」といった類の説明を、自らに対して禁止したいのです。

  8. 追加条件の合わせ技で「悪い」となることはあり得る。間違いを修正する責任がありながらその姿勢が無い、とか(どういうときに責任が生じるのかという話は別)。

  9. 鋼鉄人形論法という呼び方もあるらしい。

  10. 一般的に、目的というのはいつでも変更して良い。ただし故意に目的を偽ったりすることは、たぶん何らかの倫理に反するとは思う。あと、自分の目的を認識・言語化することはかなり難しいことでもある。

  11. 論理という概念を分かっていないと、これらの命題について判断を間違えやすくなるけれど、逆に、議論における規範を内面化しすぎている場合も同様かもしれない。という話をどこかで書きたいかも。

  12. 「理解した」と言っている人が本当に理解しているかはまったく別の話で、これはあくまで主観的な話です。

  13. 一部と全体を区別するのはまさに「論理」の本質とも言えますが、別途説明が要るはず。ここでは割愛。

  14. ただし、たとえばこの例だと「AはBも同然だ」の意味はもう少し精緻化する必要がありそうです。「Aを表明することが世論に及ぼす影響は、Bを表明する場合のそれと同じである」とか。

  15. 二重否定になっちゃった。いったん「考慮に値しない」という命題を挙げてからそれを否定すれば済むんだけど、この記事の命題のすべてに私は同意している、という形にしたかったので。

  16. ただし「必ずしも」と付けることで弱い主張になっています。たとえばある意見の表明が意味不明すぎて整理するコストが高く、元の発言者と協力してもコストを負担しきれないとき、議論を続けられないので、結果的にはその意見を無視することになる、というケースがあり得るでしょう。