[概要]言葉の定義のしかたには様々な種類が存在し、それぞれ適した用途と限界がある。定義で揉めた場合は、まず何のために定義するのかを意識するとよい。さらには、議論のそもそもの目的を再確認して進め方を考えれば、定義自体は必ずしも主要な論点にはならない。
序
この記事について
安倍晋三銃撃事件以来、この事件はテロと呼べるか否かということが何度か話題になっています。
つい最近も次のような一連のエントリがあった(以下 増田1~5 と呼ぶ。論調はタイトルの通りなので注意)。
- まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
- 続まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話 この記..
- 新まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話 以下の..
- 最後のまだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話 以..
- 【re-Imagination】まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがい..
本稿の目的は、上記の増田の主張そのものに対して賛成・反対を表明することではない。そもそも私は未だに主張を理解していない。しかし、この種のディスコミュニケーションはまったく珍しいものではないので、ここからなにか教訓めいたものをまとめてみようと試みる価値はあるだろう、と考えた次第です。
注
この記事はめちゃくちゃ冗長です。圧縮すれば私の次のブコメに尽きるかと思います。
b:id:koo-sokzeshky 「あの事件はテロだ」は発言者次第で色々な事実認識(山上の目的等)や価値判断(いま何を問題視すべきか等)が埋め込まれるので、テロか否かの論点は単純に遠回りですね。「問題点」のくだりに注力するとよいのでは
また、私は何の専門家でもないので、内容の質は保証されません。あと、人様のブコメなどを引用したりもしますが、消してほしいと言われたら消します。
定義の種類
増田氏も、そしてブコメの多くも、テロの「定義」に言及しています。
私は最終的に、定義の話はさっさと切り上げたほうがよいと主張するつもりなのだけど、まずは定義について紙面を割いてみたい。
概観
我々は割とカジュアルに「定義」という言葉を使うが、これは一般に想像されるほどシンプルな代物ではない。
私も全部は読めてないけど、いくつか参考文献を挙げます。
- Definitions (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
- 難しいので私自身、一部を拾い読みしただけ
- "Definitions, Dictionaries, and Meanings", by Norman Swartz, Dept. of Philosophy, Simon Fraser University
- 同上
- 定義ってなんだろう (1) 定義の分類と注意 | 江口某の不如意研究室
- 上のやつと項目が重なっているので比べて読むと分かりやすいかも
ここで言いたいのは、これらをちゃんと理解しましょうね、ということではない(私もできてないはずなので)。
ただ、一口に定義と言ってもいろいろあって、それぞれ目的が違う、ということくらいは押さえておくべきかなと思っています。
各種「定義」が今回の話題にどう関係するかを見ていきましょう(訂正歓迎)。
辞書的定義
辞書的定義とは
増田氏は最初、テロそのものの話をあまりしていないので、次のようなコメントが入っている。
b:id:sgo2 統一された定義が無い(論争に加わる前に定義を確認すればすぐ分かる)から、何についての話か定義しないと無意味。
(増田1のコメントより)
対して増田氏は、テロの定義として、次のものを引用しています(他にもう一つコトバンクのやつがあったけど割愛)。
テロリズムとは、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。
これはどういう種類の定義かというと、辞書的定義、が比較的近いと思う。
辞書的定義とは、言葉の意味を説明する定義です……というのはあまりに大雑把なので、(厳密なところは私も自信ないけれど)私なりの表現を試みると……
「テロ」の辞書的定義とは、「テロ」という言葉が含まれる文章をなんとなく理解するのに必要十分な情報を提供してくれるような説明のことである。
「なんとなく」というのが重要だ。人間はものごとをなんとなく理解する能力が高い。「テロ」という言葉を含む(そこそこ長めの)文章を読むにあたり、上で引用したような簡潔な定義さえあれば、細かなニュアンスはともかくとして、大意についてはだいたい文脈から判断できることでしょう。
辞書的定義の限界
上述のことは、同時に、厳密な話をしだすと辞書的定義は大して頼りにならないということも意味している。
例えば先に引用したテロの定義を見ると:
- 「国家等」って何だ、特定の組織とか不特定の民間人とかでもいいの?
- 「受入れ等」って何だ、受け入れ以外に何かしら影響が生じる場合を全部含むの?
- 「強要」って何だ、被害者が勝手に動いた場合も強要なのか?
- 「又は」って何だ、どれとどれにかかってるんだ? どっちか一方でいいの?
- 「恐怖等」って何だ、恐怖以外に何を含むんだ?
- 「目的」って何だ、どうやって判断するんだ? 犯行声明?
- 「殺傷行為等」って何だ、どこからどこまで?
パッと見ただけでも解釈の分かれそうなポイントがこんなにあります。
人によっては、それぞれの論点についてはっきりしたイメージを持っていて、「これはこういう意味だ、当たり前だろ」などと説明するかもしれない。しかしその説明は、少なくとも定義文のなかには含まれていないものだ。つまり、「テロ」の辞書的定義は、「テロとはどこからどこまでを含むのか」について、有益な情報はほとんど与えてくれない1。
一例として、上記のテロの定義で特に揉めやすいのは「目的」のあたりだと思う。例えば増田氏は上記の定義を受けて次のように書いている:
以上を踏まえると基本的にはテロとは特定の主張に基づき暴力によって国家や社会に対して影響を与える犯罪となります。 このことから山上は安倍晋三を殺すことによって社会に影響を与え間接的に統一教会にダメージを与えようとしたテロになります。
(増田2より)
これを受けて「『与えようとした』という意図をどうやって判断したの?」という疑問が出るのは自然なことです。例えばこういう反論がありえる(これは上記の定義を参照してのコメントではないけれど、容疑者の目的に言及していることには変わりない)。
b:id:yas-mal 引用した部分、「社会には反統一教会のメッセージを送ろうとした」と読めるか? 僕には「「現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人」を失わせて統一教会へのダメージを狙った」ようにしか読めないが。
(増田1のコメントより)
犯人が分かりやすい犯行声明でも出していれば判断しやすい。
b:id:myogab 山上の犯行が「テロ」となる可能性はあるよ。一般的に犯行がテロとなるかどうかは犯行声明があるか否かで、そこで政治的主張が唱えられ、再犯の可能性を恫喝に使い実現が目指されればテロになる。今の処それは無い。
(増田2のコメントより)
しかし、犯人がいかにもテロリストっぽい発言をしない限りテロには該当しないのか? と言われると、疑義もあることだろう2。犯人の発言やその他の周辺状況から、目的は外形的に判断できるだろう、と考える人もいると思う(増田氏もそれであろう)。とはいえ我々人間は他人の意図やら目的やらをけっこう雑に推測してしまう生き物である。誰しも、自分の内心について誰かに的外れな推測をされて憤慨した経験があるのではないか?
ということで、この論点は簡単には解決しない3。そしてこの時点で、我々はもはや定義について争っていない。争っているのは事実認識についてである。事実認識について争うのはまったく悪いことではないけれど、少なくとも「定義を見れば明らかだ」などと言える状態ではない。一つ一つの事実を地道に確定させないことには解決しない。
なお、ここまで犯人の目的の話をしてきたけど、最後に付け足すと、そもそも上で挙げたテロの辞書的定義は文法的に曖昧なので「目的」が必須なのかどうかもよく分からない。たとえば次のような意見がありえるが、これは事件の結果的な影響に言及していて、犯人の目的意識の有無を問題としていない。
b:id:hgfsk 選挙運動中の政治家の殺害は、民主主義への重大な脅威だからテロだよ。殺害でもテロじゃないと強弁してたら、選挙運動中の政治家への妨害行為に歯止めがなくなる。大体、テロのせいで自民党が大勝したのを忘れたの?
(増田2のコメントより)
逆の意見として、犯人の目的意識こそ重要だ、というものもありえる。
b:id:itochan 「結果として○○だからテロ」というのは変かと。「○○するために行動したからテロ」と、犯人の意図を重視したい。でないと殺人と業務上過失致死が別けられない。テロ未遂事件も結果がでないなら無罪になる。
(増田3のコメントより)
いったんこのへんで切り上げましょう。
まとめめいたことを言うと……
言葉の使い方で揉めたときに「まず辞書を引け」という人は多く、それは最低限の足がかりとしては正しいのだけど、論争を解決するのに十分な情報が辞書に載っているなどとはあまり期待しないほうが良いです。そのことをもって「この定義はダメだ」とするのは早計だけど、要するにそういう細かい話は辞書的定義の役割ではないのです。
規約的定義
規約的定義とは
次のような意見がある。
b:id:onesplat コトバンク引用するのやめててわろたw / 本来ならまずその定義で話を進めさせてください、とすべきところ、違う定義を持った人々に対して初手でアホ呼ばわりはないわな。全体的に幼稚だしもしかして高校生くらいかな
(増田5のコメントより)
意図と違ったら申し訳ないが、「まずその定義で話を進めさせてください」というのは規約的定義に近いものだと思う(英語では stipulative definition。これの日本語訳は、規約的定義・規定的定義・約定的定義などいろいろある)。
つまり、次のような考え方です。
- 「テロとは X のことである。明らかにそうである。分からないやつはおかしい」と強弁するだけでは合意が難しい(普通は無理)。
- そもそも増田氏は「テロ」という言葉を使ってもっといろんな話をしたかったんじゃないか?
- だとしたら、次のように切り出せばよい:「世間でどう言われているかはともかくとして、ここでは一旦『テロとは X のことである』ということにします。それに基づいて考えると、安倍晋三殺害事件はテロです」
- こうすると、「テロとは X のことである」に同意していない人々も議論に参加できる。そこから議論を進めていけば、彼らが「なるほど、増田の言うことにも一理あるな」という考えに至る可能性は十分にある。
すなわち、規約的定義とは、議論を円滑に進めるために導入する一時的でローカルな定義のことである。それは一般的な用法と一致していてもいいし、していなくてもいい。
規約的定義の例
次の記事の「言葉の定義の問題」の項で例示されているのも、極端ではあるが、ある種の規約的定義です。
- 詭弁 | iwatamの個人サイト - 議論のしかた
それではこれ以降、私は「議論」という言葉を「勝つか負けるかの言葉の争い」という意味で使います。そして、私が今まで「議論」と呼んでいたものはこれから「アンパン」と呼ぶことにします。ところで、私は議論のしかたには興味がありません。それよりアンパンのしかたを話し合いませんか?
わざわざアンパンなどと呼んでいるのは、あえて言語記号の恣意性を強調するためだろう。
言葉は記号に過ぎない。我々の「テロ」の例で言うと、増田氏を含め我々が本当に関心を寄せているのは「テロ」という単語そのものではなく、その単語が指し示す現実世界の何か、である可能性が高い。であれば、さしあたっては特定の定義が唯一絶対と考えず、我々が関心を持っている対象に応じて、その場その場で暫定的な言葉を決めてしまえばいい。
まあアンパンではさすがに分かりにくいけど、たとえば「いったん、テロとは~~のこととします。後で変えるかもしれません」としてもいい。もしテロの定義候補が複数あって比較検討したいとかであれば、テロA、テロB、テロC などと呼び分けてもいい。
規約的定義の限界
言葉の取り合いが発生したら、その言葉はさっさと捨てるか相手に譲るかして、規約的定義を導入して話を進めれば良い。
……このようなアドバイスは実際、議論のコツとして鉄則めいた地位を獲得していて、多くのケースで有効に機能すると思います。
一方で、仮に増田氏がこれに同意しないとしても無理はないのではないか、とも思っています。
上の項で書いたことを改めて抜粋しよう。
増田氏を含め我々が本当に関心を寄せているのは「テロ」という単語そのものではなく、その単語が指し示す現実世界の何か、である可能性が高い。
これは本当に今回あてはまるのか? 読む限り、「テロという言葉が安倍晋三銃撃事件に対して使われないのはおかしい」というのが増田氏の自認する関心事であって、それが本質的ではないという保証がどこにあるのか?
仮に、増田氏の考えるテロを、まあなんでもいいや、「テロロ」と呼び、その定義の作成に成功したとしましょう。すると「安倍晋三銃撃事件はテロロである」ということについては広く合意が得られるかもしれない。得られなかったら、安倍晋三銃撃事件との合致がより明確になるよう、テロロの定義を改訂してもいい……例えば増田氏は「政治活動中の政治家を殴ったのならそれはテロです」(増田4より)と書いているので、それを書き加えるとよい。
しかし、一段落したところで一部の読者はこう言うはずだ。「OKわかった、安倍晋三銃撃事件は確かにテロロだ。ところでテロロは実際のテロとは別物なので、安倍晋三銃撃事件はテロじゃないよ」……増田氏はこれに絶対同意しないはずで、こうなることが容易に予見されるのに、わざわざ規約的定義を経由しようなどとは考えないことだろう。
言い方を変えると、テロという言葉の実社会での用法こそが問題となっているのです。
一般論としては、結論を出す前にワンクッション置いて考えを整理することはとても大切なので、テロロの定義を考えることが無駄とは言えないし、規約的定義は無意味ですよと言うつもりもまったく無い。実際、試しにやってみればいいんじゃないのとは思う。とはいえ、それこそが鍵だと言うほどでもなく、もし私が本稿で言いたいことをギリギリまで圧縮するとしたら、規約的定義の有用性の話は削ると思います。
まとめると、
規約的定義は、考えを整理するのに有効だし、特に「議論の参加者の間で意味が通じてさえいれば、どの言葉をどの概念に割り当てるかはどうでもいい」という状況(実際よくある)では積極的に意識したい。ただし、実社会での用法そのものが問題になっているときに直接的な解決をもたらしてくれるものではない。
記述的定義
記述的定義とは
テロという言葉の実社会での用法が問題となっているのです。
(前項より抜粋)
これをどうにかするのが記述的定義だ。以下では、たぶん哲学畑の人には怒られるであろう私の大雑把な理解を書きます。
「テロ」の記述的定義とは、実社会の中で「テロ」と呼ばれている(または呼ばれうる)もろもろの対象を過不足無く含むようなカテゴリーについて説明したものである。
言い方を変えると、ある対象が実社会で「テロ」と呼ばれるための必要十分条件のことである、とも言える。
記述的定義は、世間一般での用法から離れて勝手な定義をするものではありません。また「過不足無く」「必要十分」というあたりも重要だ。なので、「テロとは X のことです」という記述的定義に対しては、「○○事件は X に当てはまるが、一般的にテロと呼ばれていないぞ」とか、「△△事件は X に当てはまらないが、これは普通にテロだよな?」とかいった反論ができる。
つまり、反例を提示すれば反論になる。もっともな反論だと思ったら、それを反映して定義を修正しなければならない。
たとえば、増田氏の「政治活動中の政治家を殴ったのならそれはテロです」(増田4より)という主張、これを記述的定義と考えれば、次のような疑問が出たりします4。
b:id:lady_joker 結局何をもってテロと言っているのかが不明なので無駄な応答が繰り返されているだけなのよね。安倍さんを街宣中に殺したのが不倫相手とかだったらテロではないわけで、線引きはどこにあるの? と大勢が聞いている
(増田4のコメントより)
こういうのを取り入れて、条件を加えたり削ったりして修正を繰り返し、反例の少ない定義を作ることに成功すれば、その定義は「安倍晋三銃撃事件はテロか否か」について、多くの人が納得するような判定を与えることができるでしょう。
これこそ求めていたものだ! ほんとかな?
記述的定義の限界
私の感覚で言ってしまうと、記述的定義を作るのはめちゃくちゃ大変だと思う。
第一に、たとえ世間の人々の間で「テロ」の用法が特に争われていないとしても、その特徴を明確に言語化することは簡単でない。とにかく色々な人の色々な用法を観察して、整理し、反例を潰していかねばならない。記述的定義の正しさの基準は実際の用法と一致しているかどうかであるわけなので、定義とお気持ちがぶつかったらお気持ちが正なのである5。それを色々取り込んでいくと、複雑な条件文になる可能性が高い。
第二に、そもそも今回問題となっている通り、何がテロにあてはまるのかについて、なかなか意見が一致しない。もし、変な(とあなたが感じる)用法が現実に存在し、そこそこ広まっているようであれば、それも無視するわけにいかない。用法が衝突したとき、多くの場合、ある人の言う「テロ」と他の人の言う「テロ」が別の概念を指していることも多いけれど、いずれにしろ、何かしら説明を与えたい。
「人それぞれですね」で終わらせないための手立ては色々あって、厳密な議論としては次の動画が面白かったです。
ちなみにテロが曖昧集合だとすると「テロ性」の多寡を云々することになる。
b:id:oktnzm テロ性は認めるけど、 https://b.hatena.ne.jp/entry/4723294012861180610/comment/oktnzm 典型的テロとはだいぶ距離があるなぁという認識。その距離こそが今回の事件の根幹部分なので、わざわざわテロか否かという議論自体の生産性に疑問
さすがに皆さん(誰)はそろそろうんざりなのではないか? こういう定義は学術的な議論とかが目的なのではないか?? 本当にこんな話がしたかったんだっけ???
まとめると……
記述的定義は、言葉の既存の用法を網羅的かつ正確に言語化し、言葉が指し示す対象を確定させるのに必要である。ただし相当な努力が必要であり、その割に、実は議論の参加者はそこまで求めていないことも多い。
その他の定義
他にもいろいろあります。
特に説得的定義なんかは本稿にも深く関係するのだけど、これはちょっと別扱いというか、後段にて定義とはまた別の側面で話したいので、ここでは割愛。
ゴールの再確認
その定義は目的にかなうのか
上でいくつか定義の種類を挙げたけど、これらは網羅的でも排他的でもない。むしろ定義の種類は目的の数だけ存在すると言ってもいいかもしれない。
ところで今回の増田とそのコメントでは、定義が十分に示されていないとか、いや定義はもう書いただろとか、そういった応酬が発生している。本稿でここまで書いてきたようなことを踏まえると、これについてはもう少し整理が進むのではないでしょうか。例えば:
b:id:type-100 結局の所テロの定義について話す気が無いなら、これまでの全ての投稿は無価値でしたね。「お前がテロと思えばテロ」以上の話ではなかった。
b:id:neko2bo ずっと見てたけど結局定義の話に至らなかったでござる。訴えたいのは増田氏自身の気持ちの置き所の話なんですかね?
(増田4のコメントより)
これに対して増田氏は「最初の記事で書かなかっただけで過去記事で何回書いたかわからんです」(増田5より)と書いている。実際、増田2のなかで辞書的定義が示されており、その他散発的に言及してもいるので、それをもって「もう書いた」という認識になっているのだろう。しかし残念ながら、本稿で書いてきたとおり、定義について話すというのは「もう書いた」で済むような簡単な話ではない。
「テロの定義を示せ」の意味として、実際は次のように色々なパターンがあります。
- テロの辞書的定義はいくつか存在するので、あなたがその中のどれを参照しているのかを教えてほしい。
- 賛成/反対する以前に、まずあなたの言う「テロ」の意味を理解できていないので、あなたの考える「テロ」の規約的定義を作ってほしい。
- 「世間一般でいう『テロ』に、某事件も当てはまる」というあなたの主張の正当性を知りたいので、線引きを明らかにするため、「テロ」の記述的定義を試みてほしい。
増田氏がクリアしているのは1点目のみであろう。目的意識が希薄だと、これらを区別しようという発想がしにくく、話が通じなくなってしまう。
ところで、2点目・3点目を対応していないからといって、増田氏を責めるのも早計ではある。増田氏は「定義の話をし始めたら死ぬほど面倒な言葉遊びになりかねない」(増田3より)と書いているが、これはもっと前向きに言い換えることができる。
「私の議論目的からすると、定義論は遠回りなので、別のアプローチを取りたい」と言えば良かったのだ。
まあ残念ながら、その後の議論で別のアプローチに成功しているとは言いがたく、結局、定義の話から離れられていない。増田氏は「選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されている事件で世界的にもテロでなかった事例はない」(増田3より)という点を強調しているけど、方向性としては記述的定義の話に近い。その方向で行くなら、この主張がテロ判定の条件として適切なのか否かについて、反例を出しまくって緻密な議論をするしかないだろう。
しかし、「定義の話をし始めたら死ぬほど面倒」というのは増田氏の言う通りだと思う。なので、まずは定義の話を保留して(あとあと復活する可能性はあるけど)、そもそも何が目的なのかを再確認するのがいいんじゃないかと思います。
目的に向けて、議論すべき論点は何か
増田氏の本来の目的は、次の主張を読者に認めさせることであったはずだ。
安倍晋三銃撃事件はテロである。
しかし、(増田氏からすると)不思議なことに、なんとこれに同意しない人がいる。一体なぜだ? (ちなみに逆の立場からもまったく同じことが言えて、増田は一体なぜこんなことを言うんだ? と思っている人もいるはずです。)
これについて増田氏は既に答えを持っています。割と最初のほうでこう書いている:
あれをテロじゃない私怨だとかアホみたいなこと言う人はテロだとすると都合の悪い人達なんでしょうね‥‥。
(増田1より)
分かってるじゃないか。
と言いたいところですが、増田氏は「テロだとすると都合の悪い人達」を明らかに否定的な意味で書いているので、意見の分かれそうなポイントを切り分ける必要がある。
暗黙の前提に注意しよう。
「都合が良い」「都合が悪い」という表現はこの点めんどくさい。次の文章を考えてみましょう。
M氏にとって、Pという主張は都合が良い。
この文章は、文脈次第で次のように様々な意味を持つ(もっと論理的に整理できる気がするけど、ここではまあ適当に並べただけです)。
- (A) 争いの対象とならないもの
- (A-1) M氏が議論を進めるにあたり、Pという前提を置いておくと議論を円滑に進めやすい。
- (A-2) Pという主張について同意が得られることを、M氏は良いことだと思っている。
- (B) 争いの対象となるもの
- (B-1) Pという主張は正しくないにも関わらず、M氏はそれを認めようとしない。(真偽判断)
- (B-2) Pという主張について同意が得られることは、M氏にとっては有益だが、他の者にとっては有害であり、総合的に見て良くないことである。(価値判断)
- (B-3) M氏は、Pという主張が認められることによる自分の利益だけを考えているが、この態度は利己的で、良くないことである。(価値判断)
トーンから察するに、増田氏はBのいずれかまたは全部の意味で言っている。こういう場合、真偽だの善し悪しだのといった論点を個別に切り出して議論しないことには同意のしようがない。
逆に、よりニュートラルな意見としては、次のようなものがあった。
b:id:wapa テロという認識でいいと思うのだが、頑なにテロにしたくない人は何なのだろう?安倍氏の死亡理由が私怨による殺人か、テロの被害者なのかで印象変わるから、とか?
(増田2のコメントより)
これは本人の立場としてはテロだよ派だが、表現は中立的6で、主に上記の A-2 の観点だと言えるでしょう。実際この観点は重要で、議論に値する切り口だと思います。
ついでに言うと私も次のようなコメントをしています。
b:id:koo-sokzeshky 言葉の定義を云々するときには「どっちが都合が良いか」も重要ですよ(例えば自然数がゼロを含むかどうかは、都度、そこから何の話に広げたいかで決まる)。テロ性を強調することによるメリデメの話をするべき。
(増田2のコメントより)
自然数云々は話の性質が違う(これは規約的定義の話っぽい)ので良い例ではなかったけど、ここで「都合が良い」とは上記の A-1 の意味で、コメント中で既に書いているとおりメリデメの話をしたかったのである。まあ、わざわざ「都合が良い」と書くのも露悪的ではあり、基本的にはもっとドライな表現――「有益である」とか――にしたほうが混乱が少ない。
まとめると、「どうせ都合が悪いんだろ」で切り捨てるのでなく、次のことを問うべきである。
- テロだと認めることは、どのように有益なのか? テロでないと認めることで、その有益さがどのように損なわれるのか?
- テロだと認めることで、どのような不利益があるのか? テロでないと認めることで、その不利益をどのように回避できるのか?
より俯瞰的な議論
トップダウンの議論、ボトムアップの議論
前項のような展開は、「テロ」という言葉から出発したトップダウン方式と言えます。ということはその逆も考えられます。
仮に目的が「あの事件はテロだ」で合意することだとして、その主張に至る背景がいろいろあるはずだ。そういった個々の問題点を、まずはボトムアップ的に挙げて議論してもいい。そして、問題意識が一通り伝わったところで初めて「これらを踏まえると、あれはテロと呼ぶべきだよね」という論点に繋げる……そういう流れも悪くないでしょう。
実際、増田氏は既に自分の考えをあちこちに書いている(特に増田3と4)。しかし入り口が悪く、「安倍晋三銃撃事件はテロに決まっている」という未合意の前提から入っているせいで、増田氏が問題視している実際的な論点にまでたどり着けていない。もちろんテロかどうかも大事なのだろうが、例えば増田氏の言う次の論点:
- 孤立と貧困
- 暴力による社会の変容
- 政治への無関心さ
これら(増田3から要約)は、テロ云々とは独立して主張することもできるだろうし、かつ、決して無益なものではないだろう。
簡潔に言うと次のブコメの通りです。
b:id:RIP-1202 テロって言葉自体、いまいちぼんやりしてて定義がはっきりしないと言うか、一回、テロという言葉を使わずに言いたいことを綺麗にまとめて欲しい。
(増田2のコメントより)
とはいえ、場合によっては何らかの論点を保留することに抵抗があるのは自然なことで、次のような感覚もよく理解できる。
b:id:pekee-nuee-nuee テロかどうかの定義がどうでもよく、その先の議論のほうが重要。確かにそうなんだけど、「人参が野菜かフルーツかは置いといて」みたいに言われてる感じがして、まあそうだけど野菜ではあるよね?ってなる 例え話が下手
(増田3のコメントより)
なかなか簡単には行きませんな。
テロか否かはどうでもいい?
ここまでの話を踏まえれば、「テロか否か」が唯一の論点ではないということにはなるでしょう、まあ優先度はともかく。
本稿の話を置いておくとしても、次のような反応がある。
b:id:frothmouth テロかどうかはハテナ村が決めるもんじゃないからどうでもいいけど、「暴力でもって社会を変容させようとする行為は受け入れられない」という基本理念は曲げるべきではないでしょうね
(増田2のコメントより)
b:id:ackey1973 まだ“テロかテロじゃないか”で消耗してるの? 山上容疑者は殺人犯で、統一協会は悪質なカルト。そこがブレなければ、まあいいかな。
(増田3のコメントより)
また、増田よりも過去の記事ですが、次のようなものも7。
いずれも一理あるのだが、それでも増田氏は「テロか否かはどうでもいい」には同意しない。これは間違ったことなのか?
私としては、問題の切り分けができていないのが悪いのであって、必ずしも「テロか否かはどうでもいい」とは限らない、と思っています。
なぜなら、ある種の言葉には色々な背景やニュアンスがくっついてきて、しばしば代替不可能になるからだ。俗に言う「強い言葉」というやつです。言葉の持つ影響力というのはバカにできない(「テロ」が今回該当するのかは別の話ですが)。
例えば、次のようにネガティブな影響力を懸念する立場がある。
b:id:baronhorse 「テロは許されない」とか「テロに屈してはならない」みたいな慣用句で山上の春秋と安倍晋三の命を奪ったカルトの脅威から目を逸らせようとする連中がいる以上、テロの定義には敏感にならざるを得ない。
善し悪しを保留するとしても、テロという言葉がいろいろな使われ方をすることは事実です。
そのため、「テロリズム」という言葉の持つ、強い反道徳性・反倫理性を活用するかたちで、「自らとは異なる立場に立つ者のアピールや実力行使」に対して、「それはテロリズムである」というレッテル(ラベル)を貼るという方法で、非難を行うという方法論・戦術がある(プロパガンダ)。この非難の対象とされるものには、しばしば政治的アピールや非暴力直接行動などが含まれる。 (テロリズム - Wikipedia) 2022-09-17 00:00 (JST)
上記からは否定的なニュアンスを感じるだろうけど、むしろそのような言葉を前向きに活用することで社会悪に立ち向かうべきだ、と考える立場があっても何もおかしくない。
ひとまずこの前提を認めるとすると、「安倍晋三銃撃事件はテロである」と主張したとき、「テロ」という言葉は何かしらの社会的な影響力を持っている可能性がある。その影響力をどう捉えるかについて、次のように意見が分かれるのではないでしょうか(「よくわからん派」はとりあえず除外します)。
- (A) テロだよ派
- (A-1) その影響力を、自分や社会にとって有益なものと考えている。
- (B) テロじゃないよ派
- (B-1) その影響力を、自分や社会にとって有害なものと考えている。
- (C) どうでもいいよ派
- (C-1) そのような影響力を行使することに否定的である。
- (C-2) そのような影響力の存在に懐疑的である。
- (C-3) そもそも当該事件について全体的にどうでもいいと思っている。
増田氏は「テロかどうかなんてどうでもよくない?という上から目線な諦念感」(増田4より)のように遺憾の意を表明しているが、これは C 全体ではなく、主に C-3 に向けられるべきであろう(他がゼロとは言わないが)。
観察する限り C-1 の人も C-2 の人もいます。そのあたりの意見は考慮に入れる価値が十分あるはず。一方で、AやBを果たして否定できるのかという観点もほしいところだとは思っています。
[追記]
「どうでもいい」というのも曖昧な表現で、文字通り「どの結論が採用されるかに興味が無い」(C-2 や C-3 はこちらに近いか)と、「問いそのものが不適切であり、テロだともテロでないとも断定すべきでない」(C-1 はこっち?)に分かれそうだ。(D) どっちでもないよ派 を作るべきだったかもしれない。
さらに言うと、「テロ」に込める意味は文脈次第で大きく変わるだろうから、「テロか否か」の答えもまた文脈次第だ、という答え方も認めるべきだ。例えば、「基本的にはテロで良いが、諸々の問題を放置しつつテロの側面だけ強調するのには反対だ」など。
おわりに
まとめめいたもの
定義の話でMPを消費したので終盤のまとめかたが適当になってしまった。改めて冒頭の概要を再掲します。
- 言葉の定義のしかたには様々な種類が存在し、それぞれ適した用途と限界がある。
- 定義で揉めた場合は、まず何のために定義するのかを意識するとよい。
- さらには、議論のそもそもの目的を再確認して進め方を考えれば、定義自体は必ずしも主要な論点にはならない。
さらに加えるならば:
- 「なぜその言葉を使いたいのか」という観点は重要である。
- 言葉に込められた言外の意味や暗黙の前提を整理することも有効である。
類似の話: 差別か否か
これまた無限に燃え続ける話題を出してしまうと、「女性専用車両は差別か否か」という話があります。たとえば次の記事が記憶にある。
tikani-nemuru-m.hatenadiary.org
「差別」という言葉に否定的な意味が込められている以上、「差別か否か」に結論を出す前に問うべき論点(不当か否か、不当だとしたらどのような点か、差別と認めることが有益か etc.)が他にあるはずだ……という調子で整理していくことができる、解決は遠いかもしれないが……。こういった話にはそこそこ汎用性があり、テロの話と比べてみても面白いかもしれない(もちろん必ずしも同じでないことには注意が必要だ)。
脚注
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定義文の機微について「書いてなくても当然分かるだろ」などと言い出したら、それは言葉で言葉を説明することを諦めているわけで、もはや何のために定義の話をしてるんだということになる。↩
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犯行声明が必須でないことの説明として、増田氏も次のように書いている: 「有名な911テロは犯行声明はなくビンラディンは当初関与を否定していましたし、地下鉄サリン事件も声明はなく当初は関与を否定していました。」(増田3より)↩
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「当然分かるだろ、分からないやつはバカ」というスタンスもあるだろうけど、それやるとなんでも無敵バリアーできちゃうので最終手段にしましょうね。↩
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これに対して増田氏も返答しているものの(増田5)、正直なにがなんだか分からない。状況や関係性が一意に定まると思わないほうが良い。↩
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ここで「お気持ち」とは「直観」みたいな意味で言っています。↩
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「頑なに」というのが中立的かは微妙なところだが、まあテロだよ派からするとテロじゃないよ派は頑なに見えることだろう、逆も然り。後半はちゃんと中立的だ。↩
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この記事に全面的に同意するかは別として、「テロだよ」に「テロじゃないよ」と返すのが必ずしもうまいわけではないこと、そしてブラック企業の喩えで分かるように「反論しようとする時点で、いつの間にか相手の設定したフレームに同意していることになる」という点は良い指摘だと思います。↩